世界遺産登録!長崎の軍艦島の歴史とは?

世界遺産登録!長崎の軍艦島の歴史とは?

軍艦島は、世界遺産に登録された今でこそ上陸ツアーで気軽に見学できますが、それまでは遠巻きにして写真で見るばかりでした。

日本本土最先端の街、長崎市の沖合19㎞に浮かんでいるという軍艦島は、廃墟であることに違いありません。

わざわざ近寄ろうとする空気もなかったものです。

スポンサーリンク

軍艦島の正式名は端島(はしま)です。

端島があのような姿の軍艦島になったのは、いつからどうしてなのでしょうか。

詳しく知ってみると軍艦島に留まらず、日本の近代産業の歴史まで見えてきます。

少し時代を遡って見てみましょう。

開坑

軍艦島開坑

1810年頃、端島で石炭が発見されたといわれてます。

当時は島ではなく浅瀬だったのです。

面積も小さかったのですが、1897年から1931年の間に6回の埋め立て工事が実施され、約3倍の面積にまでなったのです。

当時は佐賀藩が採炭事業を始めていました。

1887年、鍋島孫六郎氏が第1竪坑を開坑しました。

1890年、三菱が鍋島孫六郎から端島全体と石炭鉱区の権利を買い取り、海底炭坑として製鉄用原料炭の採掘が開始されました。

端島炭鉱の石炭はとても良質の強粘炭で、以後、隣接している高島炭鉱とともに日本の近代産業を発展させたのです。

1895年、第2竪坑を開坑しました。

1896年、第3竪坑を開坑しました。

スポンサーリンク

軍艦島としての始まり

軍艦島としての始まり

1916年、日本最初の鉄筋コンクリート造の高層アパートが完成。

狭い土地に大量の労働者を受け入れるためでした。

この高層集合住宅30号棟が建築されて以来、次々と高層アパートが建設されました。

島の海岸線を塀で取り囲んで、高層アパートが立ち並ぶ姿に変貌したのです。

この頃から、その外観が軍艦「土佐」に似ていると噂され、「軍艦島」と呼ばれ始めたようです。

同年の大阪朝日新聞には「軍艦とみまがふさうである」との記事もあります。

1921年の長崎日日新聞には、三菱重工で建設された戦艦に似ているので「 軍艦島」と記載されています。

島の発展

軍艦島としての始まり

1925年、第4竪坑を開坑しました。

1931年、1897年から始められた埋め立て工事の6回目が完了し現在の土地になりました。

1939年からは朝鮮人を労働者として移入させるようになりました。

1943年からは中国人捕虜を強制労働させました。

このことは、戦後に賠償請求訴訟を起こされ強制連行労働の不法行為として認定されています。

軍艦島は拡張されたといっても幅160m、長さ480mの小さな土地です。

しかも、その半分以上は炭鉱施設になっています。

病院、学校、寺院、神社、派出所、映画館、理髪店、雑貨店、食糧品店も衣料品店も揃っていました。

ただし、火葬場、墓地、公園は近くの中ノ島に建設されました。

狭くても島内にいれば、日常生活は完結していたのです。

その分、通路はとても狭く住民は寄せ合うように暮らしていたのです。

生産量が増えるとともに人口も増え続けました。

「炭坑は稼げる」と労働者も意欲的に参加してきたのです。

1960年には5,200人以上の人々が住み、人口密度は当時の東京の9倍、世界一の人口密度とも言われたほどです。

スポンサーリンク

閉山へ

しかし、エネルギー政策の転換によって石炭から石油へと需要が移り、出炭量と人口が徐々に減少しはじめました。

1965年、三ツ瀬区域に新坑を開発しいったんは持ちこたえます。

1973年、操業を終了しました。

1974年1月15日、数百万トンの石炭を跡に残し780人による閉山式をもって閉山しました。

同年4月20日、全島民2,200人が全員退去し無人島になりました。

軍艦島には、炭坑の他、産業がなかったこともあり、その後誰も住むことはありませんでした。

1991年、台風で護岸が3ヶ所決壊するも翌年、復旧しました。

未来へ

未来へ

建築物は40年に渡り放置されていましたので、劣化し崩壊が進み始めています。

危険個所も目立ちますので、島への立ち入りは禁止されていました。

2005年、報道関係者限定で島への立ち入りが許可されました。

それから修復作業等の整備が進められました。

2009年、整備された見学通路限定でのみですが、一般人の島への立ち入りが許可されました。

テレビ等のマスメディアでの露出度も高くなり、その経済波及効果も認められているようです。

また、元島民が集まって「自然との共存を考える島」という軍艦島保存活動も行われています。

2013年、軍艦島のGoogle ストリートビューが公開されました。

立入禁止区域内に入っての島内全域が撮影されています。

2014年、長崎大学インフラ長寿命化センターにより、軍艦島の3次元データでの記録を作成しました。

3Dレーザースキャナ、全方位カメラ、ドローン、水中ソナーまで使われています。

2015年、「九州・山口の近代化産業遺産群」の一部として、世界遺産に認定されました

まとめ

軍艦島は、世界遺産への登録もあり日本の近代化を支えた遺産として注目を浴びています。

また、建築の歴史資料としても貴重なものばかりが保存されています。

さらに歴史を振り返れば、未来の暮らしのあり方を考えるための資料にもなっているのです。

興味がある方は、ぜひ長崎の現地に足を運んでみて下さい。

文明の栄枯盛衰を感じられるかもしれません。



  • このエントリーをはてなブックマークに追加